「週末が待ち遠しい」と思える試合を作り上げるために。日本初の元Jリーガーのプロフェッショナルレフェリーが語る準備の大切さ

Special Interview

Vol.01

2024年のJリーグアウォーズで最優秀主審賞を受賞した御厨貴文レフェリーは、国内では唯一、プロサッカー選手としてのキャリアを持つJFAプロフェッショナルレフェリー。レフェリーとしての歩みや苦悩、そして、審判道具へのこだわりをうかがいました。

PROFILE

御厨 貴文(みくりや・たかふみ)さん(JFAプロフェッショナルレフェリー)

1984年生まれ、長崎県出身。大阪体育大卒業後ヴァンフォーレ甲府、ザスパ草津(現:ザスパ群馬)、カターレ富山でプレーし2014年に現役引退。翌年より審判活動をスタートし、2024年にJFAプロフェッショナルレフェリーに就任した。

御厨 貴文

心に響いたプロフェッショナルレフェリーからの言葉

御厨さんはプロサッカー選手としてプレーした後、31歳でレフェリーへ転身されました。なぜ第二の人生にレフェリーを選ばれたんですか?

引退を考えていた30歳のときに、2010年のワールドカップで副審を担当された名木利幸さんとお話ししたことが大きなきっかけになりました。名木さんにレフェリーという職業についていろいろお話をうかがう中で、プロサッカー選手からプロフェッショナルレフェリーになった人がいないと聞き、「自分がそこを目指す価値がある」と思いました。Jリーグ開幕から30年強が経ってもそういった方がいないのには何かしらの理由があるのだと思いますし、実際に茨の道だろうなとは想像できましたが、その第一人者を目指したいと思い、31歳から4級審判員としての活動をスタートしました。

現役時代はレフェリーに対してどのような印象を持っていましたか?

正直に言うと……印象はないですね。もちろん「一緒にピッチに立っている方」という認識はありましたが、レフェリーを意識してプレーしていたかというとそうではない。なのでみなさんが実際に普段どんなトレーニングをしているとか、どのくらいお給料をいただいているのか、どうやったらなれるのかなどもまったく知らなかったです。

審判活動はどのようにスタートしましたか?

講習会を受けて4級審判員の資格を取得したら、都道府県の審判委員会から試合を割り振られるので、とにかく試合をこなしながら技術を学んでいった感じです。現役時代に競技規則を最初から通しで読んだことがなかったので、これを読んで頭に入れることも同時並行で行いましたが、勉強すればするほど「これってどういうこと?」ということや、頭では理解してるけどプレーとマッチしないということが出てきて、パニックになったこともありました。当初は選手時代の感覚を頼りに「大体このぐらいの接触はファウルだろう」って感じで吹くことができていましたが、やればやるほどによくわからなくなって苦しかったですね。

Jリーガーとレフェリーの間のギャップ

4級ではあちこちの会場に出向き、小学生から社会人までさまざまなカテゴリーを担当することになるわけですよね。華やかなプロ時代とのギャップはありましたか?

「そういうものだろう」と頭では理解していたつもりでしたが、なかなか気持ちが追いつかないところもありましたね。プロ時代はスタジアムへの移動はすべてチームバス、試合が終わったらシャワーを浴びてケアを受けていたところから、個人で電車で移動し、シャワーのない会場での試合を担当する。会場でも数ヵ月前までは「御厨選手だ!」って子どもたちが駆け寄ってきてくれていたのに、(レフェリーの)黒い服を着ただけで「ヘイ!」とか言われてしまう。「何だこの違いは」とは思いました(苦笑)。「レフェリーに言う側」から「選手に言われる側」になることを受け入れるまでにも時間がかかりましたね。

プロフェッショナルレフェリーになるまでは会社員として勤務されていたんですよね。お仕事と審判活動の両立は大変だったのではないでしょうか。

資格が上位級に上がれば上がるほど担当する試合の開催地が遠くなりますし、時間のやりくりは大変でしたね。月曜から金曜まで働いて、そのまま試合会場の最寄りに移動して、泊まって、土日に試合をしてまた月曜から金曜まで働く。このサイクルの中に、トレーニングや試合の振り返り、次の試合の準備を入れなければいけないわけです。当然残業などもある中で、どこを削って何を差し込んでいくかを考え続けることは「自分はなぜレフェリーやってるのか」という芯がなければできなかったと思います。

両立のためにどのような工夫をされましたか?

午前中から猛烈に集中して働いて5時ピッタリに退社して、トレーニングや次のゲームの準備をすることを目指していました。どうしても残業をしたり飲み会に出なければいけないときは、その日の夜のトレーニングを次の日の朝にスライドさせますが、当然眠たいので、枕元にウェアをセットしておいて、起きたらすぐに着替えるというルーティンを作りました。何もない日も、帰ってきてソファに座ったら一息つきたくなるので、すぐにウェアを着て外に出るようにしましたね。

実際にプロフェッショナルレフェリーになったときはどんなお気持ちになりましたか?

達成感もありましたが、同時にここからがスタートだなと。プロフェッショナルレフェリーになることが目的だったわけでなく、プロフェッショナルレフェリーとしてどう自分を表現していくかを考えていたので、いっそう責任感を持ってやらなければなという気持ちでした。

誕生日やケガの情報まで情報収集し、「鎧」をまとう

レフェリー、特にプロフェッショナルレフェリーは称賛されることよりもネガティブな言葉を投げかけられることのほうが多い過酷な職業です。悩みや不安を感じたことはありますか?

毎試合不安です。だから「準備」という鎧を付けて試合に臨みます。フィジカル的なものもそうですし、ゲーム分析みたいなものもそう。入ったあとも、あいさつをしたときの選手一人ひとりの表情やアップ時のコンディションを見て情報を整理して、自分をゲームにアジャストさせていきます。誕生日の選手がいたら「おめでとう」、怪我から復帰した選手がいたら「大丈夫?」みたいなことも話しますね。やっぱり人対人の仕事ですので、選手といかに信頼関係を築いていくかということも大切にしています。

「レフェリーをやっていてよかった」と思うのはどんなときですか?

試合中に大きなトラブルが何にもなかった時です。対戦する両チームのご協力のもと、レフェリーとして少しだけ自分の色を加え、それがうまくミックスした時にスリリングでフェアなゲームが繰り広げられたことの証だと思うからです。老若男女いろんな方が試合を見て、月曜日から仕事や学校に行って、また週末になると試合を見に行きたくてウズウズしいていただければいいなと思いますし、その一助となればいいなと思いながら毎試合を担当しています。

選手時代は試合に勝つことを目指していたかと思いますが、今はまったく異なる喜びを目指していらっしゃるのですね。

我々の仕事は試合を滞りなく成立させてお客様にお届けすることだと思うので、それができることが最大級の喜びですね。僕自身は「試合を楽しむ」という段階には到達していませんが、多くの方に楽しんでいただけるように審判としての役割を全うする、という思いで毎試合笛を吹いています。

今後の目標、野望はありますか。

多くの方にサッカーを見て楽しんでいただきつつ、我々が求められるパフォーマンスを出すことで日本のサッカーが強くなっていくことです。また、僕のようにプロ選手からプロフェッショナルレフェリーに転身する方が出てくるまでは一生懸命続けたいと思っていますし、そういう方が出たら全力でサポートさせていただきます!

プロフェッショナルレフェリーの必携アイテム!

ホイッスル

モルテンの「バルキーン」と「ドルフィン」の二種類を常備しています。去年はアウォーズでいただいた名前入りのバルキーンを使わせていただきました。

腕時計

一つはレフェリー用の時計で、「カウントダウン」と「カウントアップ」が同時に測れるようになっていて、ストップウォッチ機能を使ってアディショナルタイムも計測できます。故障したときに備えて時計は2つ装着しています。

ポマード

審判も「いい試合をお届けするための一商品」という意識で、自分の一番かっこいい姿で出ていくことを大切にしています。

カード類

レッドカードは胸元、イエローカードは右尻のポケットに入れるようにしています。レッドカードは自分が「これはレッドだな」と確認しながら出せるように、目につきやすい位置に入れています。イエローカードは取り出すのに時間がかかる場所にあえて収めることで、「本当に出して大丈夫だよな」ともう一度考える時間を作っています。

インカム(コミュニケーションシステム)

主審・副審・第4審判員は試合中に随時コミュニケーションが取れるようになっています。イヤフォンが試合中に外れることのないよう、自分の耳型をとっています。

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